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【真相】スクウェアと任天堂の確執について

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Square VS Nintendo

スクウェアと任天堂と言えば、FF4~FF6までをスーパーファミコンで発売し、RPGの全盛期を築いた、切っても切れぬ存在。

しかし、FF史上初となる3Dポリゴンを駆使した転機作FF7は任天堂ではなく、ソニーのプレイステーションで発売することが発表され、当時のFFファンに衝撃を与えました。

みつる
みつる

なぜ任天堂64ではなく、ソニーのプレイステーションで発売されることになったのでしょう?

その真相を調べていく内に、スクウェアと任天堂の間で黒い闇のようなものが見えてきました。

背景

スーパーファミコン全盛期時代、ドラゴンクエストというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂のパートナーとして重要な関係にあった。

一方のスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館と合同で、1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作した。

また、1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようとしていた。

しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェアの開発陣が独立してしまうなど、思惑とは反対にギクシャクしていた。

プレイステーションを選択

任天堂との関係を模索している裏で、FF7のプロデューサーである坂口博信氏がプレイステーションの映像に魅了されており、ゲーム機ハードの切り替えを考えていた。

スクウェアも坂口氏の考えに同調。

『トレジャーハンターG』を最後に、任天堂64専用のゲームソフトとして企画していた約10タイトルの開発を中止する。

そしてFF7はプレイステーションで発売することになった。

その時の任天堂の山内溥社長は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたという。

生まれた確執

プレイステーションの映像に魅せられたスクウェアの社員はエニックスを始め、他のソフトメーカーに任天堂64は駄目だと吹聴していた。

そのことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との確執が生まれてしまうことになった。

その一方でエニックスは『ドラゴンクエストVII』をPSで発売したものの、任天堂DSでゲームソフトを販売し、任天堂と良好な関係を続けていた。

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映画の失敗

スクウェアは映画の失敗により会社が傾くほどの損失を計上した。

そんな中で行われた株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主から「任天堂に土下座してでも関係を修復しろ」と言われる始末。

任天堂との関係修復を迫られた。

エニックスの合併

その打開策の一つとして、スクウェアはエニックスと合併をした。

この直後スクエニ代表の和田洋一氏が、社長から相談役になった山内溥氏に謝罪に行ったことで関係修復に至った。

その後

関係修復後は山内溥氏が設立した基金「ファンドQ」を用いて制作された『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』を発売。

また、ニンテンドーDS用ソフト『ファイナルファンタジーIII』がヒットし、 任天堂switchでファイナルファンタジーシリーズが発売されるなど、確執は解消された。

感想

任天堂のゲーム業界への影響力はデカイなと思いました。

みつる
みつる

スクウェアが任天堂に頭を下げに行ったあたり、上下関係は明らかです。

この確執騒動のキーマンである山内博とはいったいどんな人物なのでしょうか?
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