FFの誕生について学ぼう!
スクウエア倒産危機
PCゲームの開発をしていたスクウェアは、1985年にファミコン市場に参入するが、PC時代とは違いヒット作を生み出せなかった。
この状況に打破すべく、スクウェアは開発グループを細分化したが、裏目に出て持ち前の開発力が低下。
結果的に全ての作品がヒットしなくなり、業績が急速に悪化したスクウェアは、倒産寸前までに追い込まれていた。
ファミコンでRPGを作るのは不可能
スクウェア所属のゲームクリエイターである坂口博信は、アクションゲームやレースゲームを製作していた。
当時のファミコンソフトには、セーブ機能がなかったため、ファミコンでRPGを作ることは不可能だと坂口氏は考えていた。
衝撃のドラゴンクエスト発売
そんな中、1986年にエニックスからドラゴンクエストが発売。
セーブ機能の問題を、「ふっかつのじゅもん」という形で解決したことに、坂口氏は衝撃を受ける。
ファイナルファンタジーの制作
ファミコンでもRPGが作れると確信した坂口氏は、最後の作品としてRPG『ファイナルファンタジー』の製作に取り掛かる。
開発に当たったのは坂口を中心とするスクウェアAチームで、坂口博信、石井浩一、渋谷員子、ナーシャジベリの4人でのスタートだった。
本社移転
ついにファイナルファンタジーが完成し、発売開始し始めた。
しかしその時期は、スクウェアが倒産寸前の時期だったため、本社を維持することができなくなり雑居ビルに移転することになった。
「これがヒットしなかったら会社を畳もう」という話も出ていた
伝説の始まり
そんな紆余曲折があるも、ファイナルファンタジーは52万本という売り上げを記録した。
以降もファイナルファンタジーシリーズは安定したヒットを飛ばし、今では世界を代表するRPGゲームとなっている。
スクウェアAチーム
坂口博信
言わずと知れたファイナルファンタジーの生みの親。
グラフィックについて坂口氏から何度もリテイクが出ることになり、デザイナーの女性たちからは「ゴブリン坂口」と異名をつけられた。
石井浩一
石井氏は「チョコボ」や「モーグリ」の生みの親。
石井浩一氏は、リーゼントに革ジャンという恰好で面接に現れ、「僕が描いた絵です」とかわいいキャラクターのイラストを提出という。
渋谷員子
FFのドット絵を作った天才。
ナーシャジベリ
ピクセルマスターで初代FFをプレイしてみよう!